ルネオバの なんだかねぇ・・
山歩きの簡単レポなど・・・
遥かな尾瀬 3日目
2015/10/30
Fri. 13:17
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・
深い霧に包まれた尾瀬ヶ原。
その霧の中から背の高い人影が近づいてくる。
小屋に荷を運ぶボッカさんだった。
そして、次第に鮮やかな色彩に包まれていく湿原。
今も目をつむれば、そのコツコツという足音さえ聞こえてくるようなそんな気がするのだ。
・・・・・
■山行日■ 2015年9月20日~22日 3日目・・・22日 晴れ
■行き先■ 尾瀬 3日目・・・見晴から至仏経由下山
■コース■ 見晴6:00――6:40竜宮小屋――7:20牛首分岐――8:10山ノ鼻8:40――11:30至仏山12:40――15:15鳩待峠
・・・・・
6:00 見晴出発
尾瀬ヶ原は深い霧に包まれていた。

その霧の中に延びる一本の道。
前を行く相方の背中がたちまち霧の中に吸い込まれていく。

草も花も木道もしっとりと濡れていた。
静かな静かな朝。
記憶の中にあるあの朝と同じ・・。

ふと通り過ぎる風に霧が揺らぐ。
数歩歩いては立ち止り霧の中にカメラを向ける。で、また2,3歩進んではカメラを取り出す。
そんなことの繰り返しでやっと竜宮小屋。
6:40 竜宮小屋。

そこから先もずっと同じような調子で、脚がなかなか進まなかった。
霧は少しずつ少しずつ上がっていく。


もしかしたら?今日は 白い虹 が観られるかもしれない・・。
白い虹。
普通、虹は雨粒に太陽の光が当たり分散、スペクトルとなって七色に見える。
それに対して、霧の粒子は細かいので、光は分散されず虹は白く見えるのだとか。
尾瀬ではよく晴れた日の早朝、稀に観られるらしい。

前方の霧の中に目を凝らしながら一歩一歩。
時折振り返っては霧の中の白い太陽をふり仰ぐ。
余りにも歩みが遅いので、相方は呆れて先に行ってしまう。

霧が途切れ青空がちらりと覗き始める。
そこから霧がすっかり消えてしまうのはあっという間だった。
白い虹はついに現れず。
目の前には眩いばかりの秋色に染まった鮮やかな湿原。

水面(みなも)に映る碧い空。

水の中の碧空にゆらゆら揺れるヒツジグサ。

振り返れば、燧ケ岳の山頂が雲の中から姿を見せ始めていた。

行く手には朝日を浴びて至仏山がどっしり横たわる。
山ノ鼻から直登の登山道が山頂に向かって伸びているのが見てとれた。
8:10~8:40 山ノ鼻
「ゆっくり時間を見積もっても、山ノ鼻出発8時にはイケるよね」
なんて言ってたのにとんでもなかった。
一足先に山ノ鼻に着いていた相方を探し、登山者の群れの中をウロウロ。
やっと巡り合えて水を補給、至仏山へ向かう。

山ノ鼻からは至仏山へはCT3時間。
蛇紋岩という滑りやすい岩で、上りの一方通行。
『植生保護と登山者の安全のため上りでの利用をお願いします』と看板。
さあそれから山頂までのキツかったこと!
食糧などかなり減っているはずなのにザックが重い。
二日間の疲れが溜まっているのか、なかなか足が上がらなかった。
日帰りや小屋泊のハイカーに次々と追い越されながら、汗だくでひたすら足を前に出す。

小一時間登ると、茶色い蛇紋岩が現れ始める。
なるほど、つるつると滑りやすいこと。
足の置場に気を遣いながらひたすら登る。
森林限界を過ぎた辺りから、そのしんどさを忘れさせてくれるような景色が眼下に広がる。

振り返ると、箱庭のような尾瀬ヶ原。その向こうに燧ケ岳。
その左手には、昨日見ることが出来なかった会津駒ヶ岳も姿を見せ始める。
登るにつれ男体山や日光白根山、そして、すぐ北には平ヶ岳の長大な山頂も見えてきた。
三日間で一番の晴れだった。

▲山ノ鼻の小屋群がすぐ下に
2時間近くの急登が終わり山頂部に出ると、そこからは緩やかな階段。
疲れ果てた体にはこの段差の小さい階段が嬉しかった。

つい2、3年ほど前までは「階段なんてつまらない」なんて思ってたのに・・。
奥秩父の大弛峠から北奥千丈ケ岳へ続く(皇太子のために整備されたという)階段を登りながら
「山歩きの醍醐味を奪うだけで何の面白みもない!」と悪態をついていたというのに・・。
大台ケ原の正木ヶ嶺の階段を「歩きやすくて嬉しい」なんて言う山友だちに「理解できひん」なんて言ってたのに・・。
(もちろんこれらの階段は登山道の荒廃を最小限に食い止めるためであることは分かっているのですが)
この緩やかな階段の嬉しいことと言ったら・・。
いつまでも若くはないのよね・・。
時は過ぎゆくものなのね・・。(当たり前やけど・・)
ともあれ、やっとやっとで至仏山到着!

▲山頂に足を踏み入れた瞬間
とりあえず、もう登らなくてもいいと思うと嬉しさがこみあげてきた。
11:30~12:40 至仏山山頂
登山者でごった返す山頂。
写真撮影も並んで順番に。
でも、そんな大混雑も少しも気にならなかった。
周りを取り囲む山々。
燧、会津駒、日光白根山はもちろん、すぐ目の前にギザギザは武尊山(ほたかやま)。
北側すぐ向こうには、もう足跡をしるすこともないだろう懐かしの平ヶ岳。
その左には越後駒?辺りの山並み。
で、巻磯山から谷川岳。一の倉沢の絶壁が正面になるのか・・。
あ、向こうの山頂部のだだっ広いのは苗場山・・。
あれ?北アも見えてるやん!
なんて、地図を手にああでもない、こうでもないと山座同定。
(写真、いまいちなのでパスします)
結局、昼ご飯も含めて1時間以上、賑わう山頂でのんびりと時を過ごしたのでした。
・・・・・

小至仏山への稜線。
正面には特徴のあるギザギザが魅力的な武尊山(ほたかやま)。
その左には赤城山も。(この翌日登り、反対側からこちらを眺めることになりました)

男体山方面の山もいつまでも見えていた。

笠ヶ岳の分岐を過ぎた辺りの小さな湿原。
午後の光に草紅葉が燃えていた。
15:15 鳩待峠

鳩待名物 花豆ソフトクリームで乾杯
・・・・・
もう一度、と憧れ続けた尾瀬。
これ以上ないくらい美しい尾瀬を味わわせてもらった。
朝霧の湿原を歩き、念願の燧にも至仏にも登れた。
三条の滝にも足を延ばすことができた。
願ったすべてのことを叶えさせてもらったと思っている。
沼尻の休憩所の焼失は衝撃的だったけれど、これも尾瀬の歴史の一コマに立ち会ったということでは感慨深いものがある。
遥かだった尾瀬。
遠い昔のセピア色の尾瀬。
オーバーラップしてこの日の鮮やかな秋色の尾瀬が今は瞼に浮かんでくる。
我儘な行程に付き合ってくれた相方にも感謝。
〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
1日目(鳩待峠から見晴、三条の滝)⇒こちら
2日目(衝撃的な出来事に遭遇 燧ケ岳)⇒こちら
深い霧に包まれた尾瀬ヶ原。
その霧の中から背の高い人影が近づいてくる。
小屋に荷を運ぶボッカさんだった。
そして、次第に鮮やかな色彩に包まれていく湿原。
今も目をつむれば、そのコツコツという足音さえ聞こえてくるようなそんな気がするのだ。
・・・・・
■山行日■ 2015年9月20日~22日 3日目・・・22日 晴れ
■行き先■ 尾瀬 3日目・・・見晴から至仏経由下山
■コース■ 見晴6:00――6:40竜宮小屋――7:20牛首分岐――8:10山ノ鼻8:40――11:30至仏山12:40――15:15鳩待峠
・・・・・
6:00 見晴出発
尾瀬ヶ原は深い霧に包まれていた。

その霧の中に延びる一本の道。
前を行く相方の背中がたちまち霧の中に吸い込まれていく。

草も花も木道もしっとりと濡れていた。
静かな静かな朝。
記憶の中にあるあの朝と同じ・・。

ふと通り過ぎる風に霧が揺らぐ。
数歩歩いては立ち止り霧の中にカメラを向ける。で、また2,3歩進んではカメラを取り出す。
そんなことの繰り返しでやっと竜宮小屋。
6:40 竜宮小屋。

そこから先もずっと同じような調子で、脚がなかなか進まなかった。
霧は少しずつ少しずつ上がっていく。


もしかしたら?今日は 白い虹 が観られるかもしれない・・。
白い虹。
普通、虹は雨粒に太陽の光が当たり分散、スペクトルとなって七色に見える。
それに対して、霧の粒子は細かいので、光は分散されず虹は白く見えるのだとか。
尾瀬ではよく晴れた日の早朝、稀に観られるらしい。

前方の霧の中に目を凝らしながら一歩一歩。
時折振り返っては霧の中の白い太陽をふり仰ぐ。
余りにも歩みが遅いので、相方は呆れて先に行ってしまう。

霧が途切れ青空がちらりと覗き始める。
そこから霧がすっかり消えてしまうのはあっという間だった。
白い虹はついに現れず。
目の前には眩いばかりの秋色に染まった鮮やかな湿原。

水面(みなも)に映る碧い空。

水の中の碧空にゆらゆら揺れるヒツジグサ。

振り返れば、燧ケ岳の山頂が雲の中から姿を見せ始めていた。

行く手には朝日を浴びて至仏山がどっしり横たわる。
山ノ鼻から直登の登山道が山頂に向かって伸びているのが見てとれた。
8:10~8:40 山ノ鼻
「ゆっくり時間を見積もっても、山ノ鼻出発8時にはイケるよね」
なんて言ってたのにとんでもなかった。
一足先に山ノ鼻に着いていた相方を探し、登山者の群れの中をウロウロ。
やっと巡り合えて水を補給、至仏山へ向かう。

山ノ鼻からは至仏山へはCT3時間。
蛇紋岩という滑りやすい岩で、上りの一方通行。
『植生保護と登山者の安全のため上りでの利用をお願いします』と看板。
さあそれから山頂までのキツかったこと!
食糧などかなり減っているはずなのにザックが重い。
二日間の疲れが溜まっているのか、なかなか足が上がらなかった。
日帰りや小屋泊のハイカーに次々と追い越されながら、汗だくでひたすら足を前に出す。

小一時間登ると、茶色い蛇紋岩が現れ始める。
なるほど、つるつると滑りやすいこと。
足の置場に気を遣いながらひたすら登る。
森林限界を過ぎた辺りから、そのしんどさを忘れさせてくれるような景色が眼下に広がる。

振り返ると、箱庭のような尾瀬ヶ原。その向こうに燧ケ岳。
その左手には、昨日見ることが出来なかった会津駒ヶ岳も姿を見せ始める。
登るにつれ男体山や日光白根山、そして、すぐ北には平ヶ岳の長大な山頂も見えてきた。
三日間で一番の晴れだった。

▲山ノ鼻の小屋群がすぐ下に
2時間近くの急登が終わり山頂部に出ると、そこからは緩やかな階段。
疲れ果てた体にはこの段差の小さい階段が嬉しかった。

つい2、3年ほど前までは「階段なんてつまらない」なんて思ってたのに・・。
奥秩父の大弛峠から北奥千丈ケ岳へ続く(皇太子のために整備されたという)階段を登りながら
「山歩きの醍醐味を奪うだけで何の面白みもない!」と悪態をついていたというのに・・。
大台ケ原の正木ヶ嶺の階段を「歩きやすくて嬉しい」なんて言う山友だちに「理解できひん」なんて言ってたのに・・。
(もちろんこれらの階段は登山道の荒廃を最小限に食い止めるためであることは分かっているのですが)
この緩やかな階段の嬉しいことと言ったら・・。
いつまでも若くはないのよね・・。
時は過ぎゆくものなのね・・。(当たり前やけど・・)
ともあれ、やっとやっとで至仏山到着!

▲山頂に足を踏み入れた瞬間
とりあえず、もう登らなくてもいいと思うと嬉しさがこみあげてきた。
11:30~12:40 至仏山山頂
登山者でごった返す山頂。
写真撮影も並んで順番に。
でも、そんな大混雑も少しも気にならなかった。

周りを取り囲む山々。
燧、会津駒、日光白根山はもちろん、すぐ目の前にギザギザは武尊山(ほたかやま)。
北側すぐ向こうには、もう足跡をしるすこともないだろう懐かしの平ヶ岳。
その左には越後駒?辺りの山並み。
で、巻磯山から谷川岳。一の倉沢の絶壁が正面になるのか・・。
あ、向こうの山頂部のだだっ広いのは苗場山・・。
あれ?北アも見えてるやん!
なんて、地図を手にああでもない、こうでもないと山座同定。
(写真、いまいちなのでパスします)
結局、昼ご飯も含めて1時間以上、賑わう山頂でのんびりと時を過ごしたのでした。
・・・・・

小至仏山への稜線。
正面には特徴のあるギザギザが魅力的な武尊山(ほたかやま)。
その左には赤城山も。(この翌日登り、反対側からこちらを眺めることになりました)

男体山方面の山もいつまでも見えていた。

笠ヶ岳の分岐を過ぎた辺りの小さな湿原。
午後の光に草紅葉が燃えていた。

15:15 鳩待峠

鳩待名物 花豆ソフトクリームで乾杯
・・・・・
もう一度、と憧れ続けた尾瀬。
これ以上ないくらい美しい尾瀬を味わわせてもらった。
朝霧の湿原を歩き、念願の燧にも至仏にも登れた。
三条の滝にも足を延ばすことができた。
願ったすべてのことを叶えさせてもらったと思っている。
沼尻の休憩所の焼失は衝撃的だったけれど、これも尾瀬の歴史の一コマに立ち会ったということでは感慨深いものがある。
遥かだった尾瀬。
遠い昔のセピア色の尾瀬。
オーバーラップしてこの日の鮮やかな秋色の尾瀬が今は瞼に浮かんでくる。
我儘な行程に付き合ってくれた相方にも感謝。
〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
1日目(鳩待峠から見晴、三条の滝)⇒こちら
2日目(衝撃的な出来事に遭遇 燧ケ岳)⇒こちら
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Category: 八ヶ岳以東・以北 -
遥かな尾瀬 2日目 燧ケ岳へ
2015/10/20
Tue. 21:27
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・
それは、尾瀬沼畔、沼尻(ぬしり)にある沼尻休憩所の火災消失現場に出くわしたこと・・。
朝、休憩のために立ち寄った休憩所、帰りには跡形もなく燃え落ちていたのでした。
2日目レポ、ささっと。
・・・・
■山行日■ 2015年9月21日 晴れ
■行き先■ 尾瀬 見晴から燧ケ岳、尾瀬沼
■コース■ 見晴5:30――6:55沼尻7:15――9:25俎嵓――9:40柴安嵓10:55――11:10俎嵓11:25――13:55尾瀬沼ビジターセンター14:35――15:10沼尻――16:50見晴
・・・・・
今日の晴れを約束するかのような尾瀬ヶ原の朝霧を木の間隠れに観ながら、見晴から尾瀬沼に向かう。
見晴から燧ケ岳直登の見晴新道は、H25年の台風被害で通行止め、尾瀬沼回りでしか登れない。
5:30 見晴出発

尾瀬沼、沼尻(ぬしり)まで、4,5キロ。
白砂峠まで緩慢な登りをこなし少し下ると、朝霧に包まれた小さな湿原、白砂湿原だ。
霧の中から白い太陽が姿を見せ、池塘にも眩い朝の光が。
その幻想的な美しさに、脚が止まる。
すぐその先は尾瀬沼の沼尻(ぬしり)だ。
木道の向こうに沼尻(ぬしり)休憩所。
その先には、尾瀬沼が広がっているはず・・・。
逸る心を抑えて木道を進むと・・・
朝の光の中に、銀色の湖面が広がっていた。
6:55~7:15 沼尻(ぬしり)休憩所
▲沼尻休憩所テラスから尾瀬沼
清冽な空気の中、ひっそりと静まり返る湖面。
言葉を失くすほど美しい眺めだった。
ここ沼尻は明治時代尾瀬を開山した平野長蔵が最初に小屋を建てた所らしい。
その後、小屋が沼の東岸に移ってからは休憩所として登山者たちに憩いの場を提供してきた歴史のある小屋。
休憩所の売店や喫茶室は既に営業しており、コーヒーの芳ばしい香りが漂っていた。
すぐ側の木立の中のトイレをお借りする。
壁には、
「沼尻に公衆トイレ設置の許可が下りず、長蔵小屋が私費で建てたこと。
こんな小さなトイレ建設にも1000万もの大金がかかったこと。
環境への影響を最小限に留めるために、排泄物等の処理を空輸に頼るしかなく維持に莫大な費用がかかること。」
そんなことが書かれていた。
そんな貼り紙を読みながら、いつになく身の引き締まる思いで協力金を投入する。
数時間後、この小屋を襲う悲劇のことなど知る由もなく・・。
・・・・・
休憩所の前から燧ケ岳へ直登のナデッ窪ルートを山頂に向かう。
尾瀬ヶ原より200メートル程標高の高い尾瀬沼。
その分、草紅葉は更に進んでいた。
更に色付いたキンコウカ。
朝日の中に金色に燃え上がる。
・・・・・
ナデッ窪は想像通りのハードなルートだった。
展望のない樹林帯の中、石を掴みながらぐいぐいよじ登る。
途中から下に尾瀬沼が見え始め、一頑張りで長英新道との分岐。
9:10 長英新道分岐。
ここで初めて山頂を見ることができるのだけれど、すぐ上にあるはずの燧ケ岳、俎嵓(まないたぐら)のピークはガスの中。
今日も昨日と同じように燧の山頂は雲に隠れては、また一瞬その姿を見せる・・そんな感じだった。
俎嵓手前から尾瀬沼を見下ろす。
ガスの切れ間から時折沼が覗く。
9:25 俎嵓山頂
登山者で鈴なりの山頂。
北側から押し寄せるガスで展望も何もなく・・。
ガスで何も見えないけれど、とりあえず、すぐそこにあるはずのもう一つのピーク、柴安嵓に向かうことに。
前後の登山者に挟まれぐいぐい下り、ぐいぐい登り返すと柴安嵓山頂。
9:40~10:55 柴安嵓(昼食)
西側、見下ろすとガスの切れ間に尾瀬ヶ原。
でも、やっぱり北側から次々に押し寄せる雲でぼんやり霞んだままだった。
箱庭のような尾瀬ヶ原とその向こうに至仏山。
原の手前中央には、朝出発した見晴の小屋の屋根も見える。

南側には銀色に尾瀬沼。
雲が多くすっきりとは見えなかったけれど、その向こうに男体山から日光白根山など、見覚えのある山々が連なっていた。
も少し、も少し雲が晴れないかと早めの昼ご飯にカップ麺を食べながら1時間以上も粘る。
でも、雲がすっきり切れることはなかった。
それにしても、さすがのシルバーウイーク!
次々に押し寄せる登山者でもの凄いことに!
向こうに俎嵓。
柴安嵓から引き返す頃になって、やっと向こうの俎嵓がガスの中から姿を見せた。
11:10~11:25 俎嵓
・・・・・・
下山は尾瀬沼東岸への長英新道をとる。
だらだらと長いルート(らしい)、おまけに、見晴に戻るにはかなり回り道になるけれど、やはり長蔵小屋に寄ってみたかった。
12:00 ミノブチ岳
この写真を撮影したのが12;03。
この時は注意して見たわけではないけれど、後から確認すると沼尻の休憩所の建物が小さく写っていた。(赤矢印)
そして、この数分後出火。
山頂からでもはっきりと見えるくらい燃え上がる炎に包まれ、みるみるうちに焼け落ちてしまったことを後から知ることになる。
・・・・・
長英新道はやっぱり長かった。
それなりに色づいた木々を眺めながら、そして、下の方は静かな針葉樹の道ではあるけれど、
中腹から下のだらだらと緩慢な道の長いことといったら・・。
1時間半近く下り、やっと、やっとのことで尾瀬沼畔に。
左、800メートルの長蔵小屋、ビジターセンター方面に。
・・・・・・
大江湿原の手前で思わず立ち止ってしまう。
ここだったんや・・・。
10メートルほど下に広がる湿原。この眺めに見覚えがあった。
昔の写真で印象的な1枚。どこで撮影したのかとんと覚えていないけれど、湿原の真ん中を貫く木道から大きく手を振っている写真。
通りがかりの方にシャッターを押していただいたのだろう。
まるで空撮でもしているかのような1枚だった。

数十年を経て、その写真と同じ景色が目の前に広がっていた。
で、早速、昔と同じように木道の真ん中から手を振って相方に撮ってもらったのだけれど・・。
けれど・・・
同じ所で同じように手を振っていても、そしてこんなに離れていても数十年の歳月は歴然として分かるのだ。
木道の真ん中で手を振っているのは、くたびれたオバチャン・・(×_×;)。
でも、よく見ると、後ろの木立の佇まいが何十年を経てもそんなに変わっていないような気がするから不思議・・。
・・・・・
長蔵小屋手前、大江湿原。
湿原の向こうの木立から燧ケ岳が顔を出す。

13:55~14:35 尾瀬沼 長蔵小屋休憩所
長蔵小屋休憩所から沼越しに燧ケ岳。

長蔵小屋は尾瀬の歴史を振り返る時、抜きには語れない小屋だ。
その昔訪れた時も、感慨深く眺めた記憶がある。
長蔵氏の孫にあたる三代目の主人平野長靖氏。尾瀬の自然を守るために父長英氏と共に力を尽くされたらしいが、雪の三平峠で吹雪に巻かれ若くして命を落とされた。
その長靖氏の遺稿集 『尾瀬に死す』 を夢中になって読んだのも丁度この頃だったと思う。
・・・・・・
沼尻まで戻ってきた時だった。
前を歩いていた相方が突然立ち止り振り返る。
「沼尻の休憩所でコーヒー休憩しような」と歩いてたのに、どうして止まるの?左やで。
「無い・・・燃えてしもてる・・・」
相方の言葉に、その方角に目をやると、あるはずの休憩所が無かった。
朝休憩した小屋が、テラスからあの美しい尾瀬沼を眺めた休憩所が忽然と消えていた。
事態を理解するには数秒かかった(・・と思う)。
プスプスと白い煙を上げ燻り続ける残骸。
まるで焚火の跡のように、小屋の原型を留めるものは何一つ、柱ひとつベンチひとつさえ残っていなかった。
足元には立ち入り禁止のテープ。
現場検証をしているのだろうか、焼け跡に数人の人影が佇んでいるのが見えた。
・・・・・・・
沼尻で休憩できなかったのですぐ先の白砂湿原で足を休ませる。
振り返れば木立の上にはやはり青空、アクセントを添える白い雲。
尾瀬沼の湖面も遠く光っている。
あの木立の向こうにはつい数時間前まで小屋があったのだ。
その小屋を襲った悲劇。
でも、そんなことがあったなんて信じられないくらい、目の前には長閑な美しい秋の湿原が広がっていた。
16:55 見晴テント場到着
・・・・・・・・
ご飯の支度をしながら、ふと何かの気配に顔を上げると木立の向こうの西の空が燃えていた。
わーー!
ちょ、ちょっと行ってくるわ!
慌ててコンロの火を消し、尾瀬ヶ原を見渡せる弥四郎小屋へと走る。
ついさっきまでぼんやりと灰色の雲に覆われていた空。
それが、一瞬のうちに真っ赤に燃え上がっているのだった。
あちこちの小屋からもバタバタと人が飛び出してくる。
燃える空。
朱く染まる草紅葉。
その真ん中にぼんやり白く続く木道。
その先には、中腹に白い雲をたなびかせた至仏山が横たわっていた。
みんな一様に、空を見上げていた。
呆けたように立ち尽くしていた。
真っ赤な空が次第に色褪せ、薄紫になりやがて夕闇に沈んでいった。
〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
3日目レポ⇒こちら
1日目(鳩待峠から見晴、三条の滝)レポ⇒こちら
それは、尾瀬沼畔、沼尻(ぬしり)にある沼尻休憩所の火災消失現場に出くわしたこと・・。
朝、休憩のために立ち寄った休憩所、帰りには跡形もなく燃え落ちていたのでした。
2日目レポ、ささっと。
・・・・
■山行日■ 2015年9月21日 晴れ
■行き先■ 尾瀬 見晴から燧ケ岳、尾瀬沼
■コース■ 見晴5:30――6:55沼尻7:15――9:25俎嵓――9:40柴安嵓10:55――11:10俎嵓11:25――13:55尾瀬沼ビジターセンター14:35――15:10沼尻――16:50見晴
・・・・・
今日の晴れを約束するかのような尾瀬ヶ原の朝霧を木の間隠れに観ながら、見晴から尾瀬沼に向かう。
見晴から燧ケ岳直登の見晴新道は、H25年の台風被害で通行止め、尾瀬沼回りでしか登れない。
5:30 見晴出発

尾瀬沼、沼尻(ぬしり)まで、4,5キロ。
白砂峠まで緩慢な登りをこなし少し下ると、朝霧に包まれた小さな湿原、白砂湿原だ。
霧の中から白い太陽が姿を見せ、池塘にも眩い朝の光が。
その幻想的な美しさに、脚が止まる。


すぐその先は尾瀬沼の沼尻(ぬしり)だ。

木道の向こうに沼尻(ぬしり)休憩所。
その先には、尾瀬沼が広がっているはず・・・。
逸る心を抑えて木道を進むと・・・
朝の光の中に、銀色の湖面が広がっていた。
6:55~7:15 沼尻(ぬしり)休憩所

▲沼尻休憩所テラスから尾瀬沼
清冽な空気の中、ひっそりと静まり返る湖面。
言葉を失くすほど美しい眺めだった。
ここ沼尻は明治時代尾瀬を開山した平野長蔵が最初に小屋を建てた所らしい。
その後、小屋が沼の東岸に移ってからは休憩所として登山者たちに憩いの場を提供してきた歴史のある小屋。
休憩所の売店や喫茶室は既に営業しており、コーヒーの芳ばしい香りが漂っていた。

すぐ側の木立の中のトイレをお借りする。
壁には、
「沼尻に公衆トイレ設置の許可が下りず、長蔵小屋が私費で建てたこと。
こんな小さなトイレ建設にも1000万もの大金がかかったこと。
環境への影響を最小限に留めるために、排泄物等の処理を空輸に頼るしかなく維持に莫大な費用がかかること。」
そんなことが書かれていた。
そんな貼り紙を読みながら、いつになく身の引き締まる思いで協力金を投入する。
数時間後、この小屋を襲う悲劇のことなど知る由もなく・・。
・・・・・

休憩所の前から燧ケ岳へ直登のナデッ窪ルートを山頂に向かう。

尾瀬ヶ原より200メートル程標高の高い尾瀬沼。
その分、草紅葉は更に進んでいた。

更に色付いたキンコウカ。
朝日の中に金色に燃え上がる。
・・・・・

ナデッ窪は想像通りのハードなルートだった。
展望のない樹林帯の中、石を掴みながらぐいぐいよじ登る。
途中から下に尾瀬沼が見え始め、一頑張りで長英新道との分岐。
9:10 長英新道分岐。
ここで初めて山頂を見ることができるのだけれど、すぐ上にあるはずの燧ケ岳、俎嵓(まないたぐら)のピークはガスの中。
今日も昨日と同じように燧の山頂は雲に隠れては、また一瞬その姿を見せる・・そんな感じだった。

俎嵓手前から尾瀬沼を見下ろす。
ガスの切れ間から時折沼が覗く。

9:25 俎嵓山頂
登山者で鈴なりの山頂。
北側から押し寄せるガスで展望も何もなく・・。
ガスで何も見えないけれど、とりあえず、すぐそこにあるはずのもう一つのピーク、柴安嵓に向かうことに。
前後の登山者に挟まれぐいぐい下り、ぐいぐい登り返すと柴安嵓山頂。
9:40~10:55 柴安嵓(昼食)

西側、見下ろすとガスの切れ間に尾瀬ヶ原。
でも、やっぱり北側から次々に押し寄せる雲でぼんやり霞んだままだった。

箱庭のような尾瀬ヶ原とその向こうに至仏山。
原の手前中央には、朝出発した見晴の小屋の屋根も見える。

南側には銀色に尾瀬沼。
雲が多くすっきりとは見えなかったけれど、その向こうに男体山から日光白根山など、見覚えのある山々が連なっていた。
も少し、も少し雲が晴れないかと早めの昼ご飯にカップ麺を食べながら1時間以上も粘る。
でも、雲がすっきり切れることはなかった。
それにしても、さすがのシルバーウイーク!
次々に押し寄せる登山者でもの凄いことに!

向こうに俎嵓。
柴安嵓から引き返す頃になって、やっと向こうの俎嵓がガスの中から姿を見せた。
11:10~11:25 俎嵓
・・・・・・
下山は尾瀬沼東岸への長英新道をとる。
だらだらと長いルート(らしい)、おまけに、見晴に戻るにはかなり回り道になるけれど、やはり長蔵小屋に寄ってみたかった。

12:00 ミノブチ岳

この写真を撮影したのが12;03。
この時は注意して見たわけではないけれど、後から確認すると沼尻の休憩所の建物が小さく写っていた。(赤矢印)
そして、この数分後出火。
山頂からでもはっきりと見えるくらい燃え上がる炎に包まれ、みるみるうちに焼け落ちてしまったことを後から知ることになる。
・・・・・

長英新道はやっぱり長かった。
それなりに色づいた木々を眺めながら、そして、下の方は静かな針葉樹の道ではあるけれど、
中腹から下のだらだらと緩慢な道の長いことといったら・・。
1時間半近く下り、やっと、やっとのことで尾瀬沼畔に。

左、800メートルの長蔵小屋、ビジターセンター方面に。
・・・・・・
大江湿原の手前で思わず立ち止ってしまう。
ここだったんや・・・。
10メートルほど下に広がる湿原。この眺めに見覚えがあった。
昔の写真で印象的な1枚。どこで撮影したのかとんと覚えていないけれど、湿原の真ん中を貫く木道から大きく手を振っている写真。
通りがかりの方にシャッターを押していただいたのだろう。
まるで空撮でもしているかのような1枚だった。

数十年を経て、その写真と同じ景色が目の前に広がっていた。
で、早速、昔と同じように木道の真ん中から手を振って相方に撮ってもらったのだけれど・・。

けれど・・・
同じ所で同じように手を振っていても、そしてこんなに離れていても数十年の歳月は歴然として分かるのだ。
木道の真ん中で手を振っているのは、くたびれたオバチャン・・(×_×;)。
でも、よく見ると、後ろの木立の佇まいが何十年を経てもそんなに変わっていないような気がするから不思議・・。
・・・・・
長蔵小屋手前、大江湿原。

湿原の向こうの木立から燧ケ岳が顔を出す。

13:55~14:35 尾瀬沼 長蔵小屋休憩所

長蔵小屋休憩所から沼越しに燧ケ岳。

長蔵小屋は尾瀬の歴史を振り返る時、抜きには語れない小屋だ。
その昔訪れた時も、感慨深く眺めた記憶がある。
長蔵氏の孫にあたる三代目の主人平野長靖氏。尾瀬の自然を守るために父長英氏と共に力を尽くされたらしいが、雪の三平峠で吹雪に巻かれ若くして命を落とされた。
その長靖氏の遺稿集 『尾瀬に死す』 を夢中になって読んだのも丁度この頃だったと思う。
・・・・・・
沼尻まで戻ってきた時だった。
前を歩いていた相方が突然立ち止り振り返る。
「沼尻の休憩所でコーヒー休憩しような」と歩いてたのに、どうして止まるの?左やで。
「無い・・・燃えてしもてる・・・」
相方の言葉に、その方角に目をやると、あるはずの休憩所が無かった。
朝休憩した小屋が、テラスからあの美しい尾瀬沼を眺めた休憩所が忽然と消えていた。
事態を理解するには数秒かかった(・・と思う)。

プスプスと白い煙を上げ燻り続ける残骸。
まるで焚火の跡のように、小屋の原型を留めるものは何一つ、柱ひとつベンチひとつさえ残っていなかった。
足元には立ち入り禁止のテープ。
現場検証をしているのだろうか、焼け跡に数人の人影が佇んでいるのが見えた。


・・・・・・・

沼尻で休憩できなかったのですぐ先の白砂湿原で足を休ませる。
振り返れば木立の上にはやはり青空、アクセントを添える白い雲。
尾瀬沼の湖面も遠く光っている。
あの木立の向こうにはつい数時間前まで小屋があったのだ。
その小屋を襲った悲劇。
でも、そんなことがあったなんて信じられないくらい、目の前には長閑な美しい秋の湿原が広がっていた。

16:55 見晴テント場到着
・・・・・・・・
ご飯の支度をしながら、ふと何かの気配に顔を上げると木立の向こうの西の空が燃えていた。
わーー!
ちょ、ちょっと行ってくるわ!
慌ててコンロの火を消し、尾瀬ヶ原を見渡せる弥四郎小屋へと走る。

ついさっきまでぼんやりと灰色の雲に覆われていた空。
それが、一瞬のうちに真っ赤に燃え上がっているのだった。
あちこちの小屋からもバタバタと人が飛び出してくる。
燃える空。
朱く染まる草紅葉。
その真ん中にぼんやり白く続く木道。
その先には、中腹に白い雲をたなびかせた至仏山が横たわっていた。
みんな一様に、空を見上げていた。
呆けたように立ち尽くしていた。
真っ赤な空が次第に色褪せ、薄紫になりやがて夕闇に沈んでいった。

〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
3日目レポ⇒こちら
1日目(鳩待峠から見晴、三条の滝)レポ⇒こちら
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Category: 八ヶ岳以東・以北 -
遥かな尾瀬 1日目
2015/10/20
Tue. 17:13
*1日目レポ、ミスで消してしまったので後半再編集しました(11月16日)

SWの尾瀬から既に一ヶ月も過ぎてしまいました。
その間にも季節はどんどん進み、木々は鮮やかに色付き、草紅葉は黄金色に波打ち、そして
その上に真っ白な霜が下り、白い静寂の季節がすぐそこまでやってきているようです。
とっくに賞味期限切れだとは思うのですが、ま、その、覚書程度にレポアップします(^◇^;)

SWの尾瀬から既に一ヶ月も過ぎてしまいました。
その間にも季節はどんどん進み、木々は鮮やかに色付き、草紅葉は黄金色に波打ち、そして
その上に真っ白な霜が下り、白い静寂の季節がすぐそこまでやってきているようです。
とっくに賞味期限切れだとは思うのですが、ま、その、覚書程度にレポアップします(^◇^;)
-- 続きを読む --
・
・
尾瀬戸倉まで片道620キロはやっぱり遠かった。
SW初日はその移動に使う。
自宅を出て30分も経たないのに、名阪国道で人生初のスピード違反に引っかかってしまう。
「今日なんかきっと覆面張ってるよね~」なんて言ってたばかりなのに、何とも情けなかった。
「あ、あの車の方が、ずっとスピード出してますやん!!」
「名阪60キロで走ってる車なんていてませんやんか!!」なんて、悪あがきも甲斐なく(当たり前)、
「奥さん、後10キロオーバーしていたら即免停ですよ~」の言葉に震えあがる。
モチベだだ下がり。
マジで尾瀬は諦めて引き返そうかと思ったけれど、その後、ノロノロ運転で夕方7時前戸倉に到着。
4割程度だった第一駐車場も、翌日明け方にはほぼ満杯になっていた。
・・・・・・
■山行日■ 2015年9月20日~22日 1日目・・・20日 曇りのち晴れ
■行き先■ 尾瀬 1日目・・・鳩待峠から見晴(下田代十字路)
■コース■ 鳩待峠5:20――6:10山ノ鼻6:35――7:05牛首7:20――8:20東電小屋8:30――9:00見晴10:05――10:45温泉小屋――11:05平滑ノ滝――11:40三条の滝12:15――13:45見晴(テント)
・・・・・・
始発4時40分より少し早く乗合タクシーで鳩待峠へ。
霧に包まれまだ薄暗い鳩待峠。
何となく見覚えのあるような建物の佇まい。

こんな朝早くだというのに、次々に到着する登山者(ハイカー?)で、たちまち大混雑。
アヤメ平にもココロがそそられたけど、重い荷物を背負って登りたくなかった。
・・より何より、一刻も早く尾瀬ヶ原に飛び込みたかったのだ。
でも、尾瀬ヶ原より標高が400メートル程高いアヤメ平、黄金色の草紅葉の上に燧ケ岳が浮かび、素晴らしい眺めだったらしい。
山ノ鼻に向けて一歩踏み出し2グループ程追い越すと、もう静かな山道だった。
6:10~6:35 山ノ鼻
小1時間ほどで山ノ鼻。
トイレ、腹ごしらえをすませ、最後の小屋の角を左に曲がると・・
美しい湿原が広がっていた。

花も草も木道も、朝露にしっとり濡れている。
尾瀬の秋を最後に彩る花、エゾリンドウの紫、アキノキリンソウの黄色、ワレモコウが風に揺れて・・
あ~・・とうとうやってきた・・も一度来られた・・
・・なんて、そんな想いで胸が一杯になった。
そんなこんなで、もう、立ち止ってばかり。
後からのハイカーや向こうから来る人に右に左に道を譲りながら・・。
燧ケ岳を覆っている雲はなかなか晴れない。
7:05~7:20 牛首分岐
見晴までは真っすぐが最短距離だけれど、最終日またここを戻ってくるので、左折、東電小屋経由で行くことに。
尾瀬の最後に咲く花、オゼリンドウとワレモコウ
所々に熊よけの鈴。
カランカランと鳴らしながら。
前後して歩いていた小さな女の子連れの若いお父さんとお母さん。
シャッターを頼まれ何回か押したのだけれど、
大事そうに女の子の肩を抱え満面の笑みのお父さん。
少し緊張気味の女の子。
あの子の心の中に今日の尾瀬ヶ原はどんな風に残っていくのだろうか?
もしかして?そんなところに行ったことなんか頭の隅にも残らないかもしれない。
で、大人になったある日のこと、友人に誘われて出かけた尾瀬。
あれ?この眺めは、いつかどこかで・・・?
なんて、遠い幼い秋の日が蘇ってくるのかもしれない・・。
一足先に秋の彩り、ナナカマド
ゆらゆら揺れるヒツジグサ
ヨッピ橋にて
8:20~8:30 東電小屋
尾瀬沼から流れる沼尻(ぬしり)川に架かる東電橋。
9:00~10:05 見晴(下田代十字路)テント設営
燧小屋で受付。まだ数張りのテント場の一等地に設営し、三条の滝に向かう。
滝が観たかったわけではなかったけれど、その昔めげそうになりながら土砂降りの中登った道を確かめてみたかった。
木の間隠れに覗いた大きな滝がどんなだったか確かめてみたかった。
東電小屋への分岐で休憩のボッカさんに写真を撮らせて頂もらったのだけれど、
それがきっかけで、ひとしきりいろいろお話を聞かせて頂く。
冬には5メートルも雪が積もり、小屋の雪下ろしに何度も登って来られるとか。
以前は12人いたボッカも今は6人になってしまったらしい。
雪融けの尾瀬ヶ原のこと、関西出身で今は片品村の住人になっていること。
「身体が基本なので、無理せずにやってます」と、今日の荷物は80キロ弱だとか(!)。
ん十年ぶりの尾瀬だと話すと、「じゃあ、記念にこれを・・」と、取り出してくださったのが↓これ。
記念にと下さったバッチ。
・・・・・・
赤田代には温泉小屋と元湯山荘の二軒の小屋。
見晴の垢抜けた小屋の佇まいとは違って鄙びた味わいが何となく懐かしい。
尾瀬ヶ原温泉休憩所
元湯山荘から三条の滝へは登山道をガンガンと小一時間も下る。
ここからは人も少ないだろうから念のため・・・と、ザックから熊鈴を取り出す。
・・が、人が途切れたのはほんの数分のことだった。
下からどんどん登ってくる人、おぼつかない足取りで前をのろのろ下る人。
小学生くらいの子どもから結構な年配の方まで、おまけに手ぶらの人も多い。
そういえば、休憩所に
「荷物預かります」の貼り紙があったっけ。
でも、三条の滝までピストンで2時間近くはかかるのに?手ぶらで?・・なんて苦笑してしまう。
平滑ノ滝
上から見下ろすのだけれど、なかなか圧巻。(この写真では伝わらない・・)
かなり広い川幅が何十メートルにもナメになり流れ下っていた。
平滑ノ滝から更にハードな下り。
三条の滝分岐。
分岐から5分も行かないうちに轟音が響いてくる。
梯子を下ると先端には展望台があった。
落差90メートル。もの凄い迫力(画像では伝わらないと思います)
川幅の広い沼尻川がその幅のまま一気に落ち込んでいる・・って感じ。
多分?今まで観た中で一番幅広の滝だと思う。
・・・・・・
13:45 見晴
・・・・・
見晴に戻り、
「もう十分歩いた」という相方を残し、竜宮小屋へと原に踏み出す。
午後の日差しの中に鮮やかに浮かび上がる草紅葉。
燧も至仏もすっかり晴れ上がっていた。
数人立ち止って川を覗きこんでいる。見ると澄み切った水に岩魚の影。
どこまでも広がる草紅葉の原。
尚も原を行く人、やってくる人。
水面(みなも)に映る白い雲。
風に揺れる草紅葉。

時の経つのも忘れ、秋の尾瀬の空気の中に佇んでいた。
超満員のテント場、トイレの浄化槽の上のコンクリートにまで数張り。
夕暮れ。
燧ケ岳の山頂が少しピンクに染まり日は暮れていった。
〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
2日目(衝撃的な出来事に遭遇 燧ケ岳から尾瀬沼)⇒こちら
3日目(快晴 至仏山から鳩待峠下山)⇒こちら
・
尾瀬戸倉まで片道620キロはやっぱり遠かった。
SW初日はその移動に使う。
自宅を出て30分も経たないのに、名阪国道で人生初のスピード違反に引っかかってしまう。
「今日なんかきっと覆面張ってるよね~」なんて言ってたばかりなのに、何とも情けなかった。
「あ、あの車の方が、ずっとスピード出してますやん!!」
「名阪60キロで走ってる車なんていてませんやんか!!」なんて、悪あがきも甲斐なく(当たり前)、
「奥さん、後10キロオーバーしていたら即免停ですよ~」の言葉に震えあがる。
モチベだだ下がり。
マジで尾瀬は諦めて引き返そうかと思ったけれど、その後、ノロノロ運転で夕方7時前戸倉に到着。
4割程度だった第一駐車場も、翌日明け方にはほぼ満杯になっていた。
・・・・・・
■山行日■ 2015年9月20日~22日 1日目・・・20日 曇りのち晴れ
■行き先■ 尾瀬 1日目・・・鳩待峠から見晴(下田代十字路)
■コース■ 鳩待峠5:20――6:10山ノ鼻6:35――7:05牛首7:20――8:20東電小屋8:30――9:00見晴10:05――10:45温泉小屋――11:05平滑ノ滝――11:40三条の滝12:15――13:45見晴(テント)
・・・・・・
始発4時40分より少し早く乗合タクシーで鳩待峠へ。
霧に包まれまだ薄暗い鳩待峠。
何となく見覚えのあるような建物の佇まい。

こんな朝早くだというのに、次々に到着する登山者(ハイカー?)で、たちまち大混雑。
アヤメ平にもココロがそそられたけど、重い荷物を背負って登りたくなかった。
・・より何より、一刻も早く尾瀬ヶ原に飛び込みたかったのだ。
でも、尾瀬ヶ原より標高が400メートル程高いアヤメ平、黄金色の草紅葉の上に燧ケ岳が浮かび、素晴らしい眺めだったらしい。

山ノ鼻に向けて一歩踏み出し2グループ程追い越すと、もう静かな山道だった。
6:10~6:35 山ノ鼻
小1時間ほどで山ノ鼻。
トイレ、腹ごしらえをすませ、最後の小屋の角を左に曲がると・・
美しい湿原が広がっていた。

花も草も木道も、朝露にしっとり濡れている。
尾瀬の秋を最後に彩る花、エゾリンドウの紫、アキノキリンソウの黄色、ワレモコウが風に揺れて・・
あ~・・とうとうやってきた・・も一度来られた・・
・・なんて、そんな想いで胸が一杯になった。

そんなこんなで、もう、立ち止ってばかり。
後からのハイカーや向こうから来る人に右に左に道を譲りながら・・。
燧ケ岳を覆っている雲はなかなか晴れない。

7:05~7:20 牛首分岐

見晴までは真っすぐが最短距離だけれど、最終日またここを戻ってくるので、左折、東電小屋経由で行くことに。


尾瀬の最後に咲く花、オゼリンドウとワレモコウ
所々に熊よけの鈴。
カランカランと鳴らしながら。

前後して歩いていた小さな女の子連れの若いお父さんとお母さん。
シャッターを頼まれ何回か押したのだけれど、
大事そうに女の子の肩を抱え満面の笑みのお父さん。
少し緊張気味の女の子。
あの子の心の中に今日の尾瀬ヶ原はどんな風に残っていくのだろうか?
もしかして?そんなところに行ったことなんか頭の隅にも残らないかもしれない。
で、大人になったある日のこと、友人に誘われて出かけた尾瀬。
あれ?この眺めは、いつかどこかで・・・?
なんて、遠い幼い秋の日が蘇ってくるのかもしれない・・。

一足先に秋の彩り、ナナカマド

ゆらゆら揺れるヒツジグサ

ヨッピ橋にて
8:20~8:30 東電小屋


尾瀬沼から流れる沼尻(ぬしり)川に架かる東電橋。

9:00~10:05 見晴(下田代十字路)テント設営
燧小屋で受付。まだ数張りのテント場の一等地に設営し、三条の滝に向かう。
滝が観たかったわけではなかったけれど、その昔めげそうになりながら土砂降りの中登った道を確かめてみたかった。
木の間隠れに覗いた大きな滝がどんなだったか確かめてみたかった。

東電小屋への分岐で休憩のボッカさんに写真を撮らせて頂もらったのだけれど、
それがきっかけで、ひとしきりいろいろお話を聞かせて頂く。
冬には5メートルも雪が積もり、小屋の雪下ろしに何度も登って来られるとか。
以前は12人いたボッカも今は6人になってしまったらしい。
雪融けの尾瀬ヶ原のこと、関西出身で今は片品村の住人になっていること。
「身体が基本なので、無理せずにやってます」と、今日の荷物は80キロ弱だとか(!)。
ん十年ぶりの尾瀬だと話すと、「じゃあ、記念にこれを・・」と、取り出してくださったのが↓これ。

記念にと下さったバッチ。
・・・・・・
赤田代には温泉小屋と元湯山荘の二軒の小屋。
見晴の垢抜けた小屋の佇まいとは違って鄙びた味わいが何となく懐かしい。

尾瀬ヶ原温泉休憩所
元湯山荘から三条の滝へは登山道をガンガンと小一時間も下る。
ここからは人も少ないだろうから念のため・・・と、ザックから熊鈴を取り出す。
・・が、人が途切れたのはほんの数分のことだった。
下からどんどん登ってくる人、おぼつかない足取りで前をのろのろ下る人。
小学生くらいの子どもから結構な年配の方まで、おまけに手ぶらの人も多い。
そういえば、休憩所に
「荷物預かります」の貼り紙があったっけ。
でも、三条の滝までピストンで2時間近くはかかるのに?手ぶらで?・・なんて苦笑してしまう。
平滑ノ滝

上から見下ろすのだけれど、なかなか圧巻。(この写真では伝わらない・・)
かなり広い川幅が何十メートルにもナメになり流れ下っていた。
平滑ノ滝から更にハードな下り。


三条の滝分岐。

分岐から5分も行かないうちに轟音が響いてくる。
梯子を下ると先端には展望台があった。

落差90メートル。もの凄い迫力(画像では伝わらないと思います)
川幅の広い沼尻川がその幅のまま一気に落ち込んでいる・・って感じ。
多分?今まで観た中で一番幅広の滝だと思う。

・・・・・・
13:45 見晴
・・・・・
見晴に戻り、
「もう十分歩いた」という相方を残し、竜宮小屋へと原に踏み出す。

午後の日差しの中に鮮やかに浮かび上がる草紅葉。
燧も至仏もすっかり晴れ上がっていた。

数人立ち止って川を覗きこんでいる。見ると澄み切った水に岩魚の影。

どこまでも広がる草紅葉の原。
尚も原を行く人、やってくる人。

水面(みなも)に映る白い雲。
風に揺れる草紅葉。

時の経つのも忘れ、秋の尾瀬の空気の中に佇んでいた。

超満員のテント場、トイレの浄化槽の上のコンクリートにまで数張り。
夕暮れ。
燧ケ岳の山頂が少しピンクに染まり日は暮れていった。

〇プロローグ『遥かな尾瀬』
〇昔のアルバムから 『セピア色の尾瀬』
2日目(衝撃的な出来事に遭遇 燧ケ岳から尾瀬沼)⇒こちら
3日目(快晴 至仏山から鳩待峠下山)⇒こちら
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セピア色の尾瀬
2015/10/02
Fri. 13:27

尾瀬レポ、取り掛かれませ~ん (×_×;)
古いアルバムを次から次へと引っ張り出しては想い出にふけっております。
オバサンの想い出話なんか、ちっとも面白ぉないとは思うのですが、
も少し、も少しだけお付き合いを・・。
・・・・・
尾瀬を訪れたのは数十年前、20歳の秋だった。
仲間と二人、テントを担いでの山行。
-- 続きを読む --
・
夜行で新潟から奥只見湖を船で渡り、一日がかりで平ヶ岳の登山口の清四郎小屋に。
船以外交通手段がなかったと思うのだけれど、マイカーで手軽に登山口の今とは今昔の感がある。
翌日は雨の中、ずぶ濡れになりながら気の遠くなるような長い長い尾根を平ヶ岳へピストン。
==アルバムメモより==
9月22日(平ヶ岳にて)
雨にどんより沈む山々の中で、燧ケ岳そこだけ太陽の光が当たり
明るく立体的に浮かび上がっていた。
・・・・・・・
「山渓」の特集だったかで初めて知った平ヶ岳。
見開きの写真に山頂部に広がる広大な湿原が秋色に染まり夢のような景色だった。
が、やっとのことで辿り着いた憧れの山頂は雨の中。
重苦しい雲が垂れ込め、何もかもがどんよりと灰色に沈んでいた。
==メモより==
清四郎小屋に戻ると 日はとっぷり暮れていた。
小屋のおばさんの天麩羅の差し入れ、非常に美味なり。
夜、千葉のおじさん2人テントに遊びに来る。ささやかなティータイム。
明日の尾瀬行と、今日の長い平ヶ岳を想い、小沢平(こぞうだいら)の夜は更けゆく。
・・・・・・・
「雷が鳴ってたから心配してたのよ」
帰りの遅い二人を今か今かと心配して待ってくれていたらしい清四郎小屋のおばさん。
大皿に盛られた揚げたての天麩羅が涙が出るほど美味しかった。
三日目、やっぱり雨。三条の滝を経て尾瀬へ。
==メモより==
9月23日
またしても雨に祟られた一日。
尾瀬は思いの外遠かった。ザックの何と重かったことか。
真っ暗になってから尾瀬下田代十字路着。
土砂降りの中、テントを設営する。
・・・・・・・・・
怒ったように?黙々とテントを張る友人。
なんで小屋に泊まれへんの・・。
温かい小屋に入りたい。乾いた布団にくるまれぐっすり眠りたい・・・。
でも言えなかった。
そんなこと口に出そうものなら「軟弱もの~」とどやしつけられそうなくらい友の仕草はきびきびと鬼気迫るものがあった。
(当時よく使った『軟弱』なんて言葉。若かったのね~青かったのね~・・(^◇^;)・・)
「え!?〇〇さん(私のこと)も同じこと思ってたの?」
あの時、彼女も同じ思いだったこと。
黙々と動き続ける私に小屋泊まりを言いだせなかったこと。
二人とも同じ思いだったのに、泣きそうになりながらずぶ濡れの身体を湿ったシュラフに潜り込ませた雨の夜。
そんなことが分かって大笑いしたのは、何十年も後になってのことだった。
ちなみに、この日の写真は一枚もない。
雨の降りしきる中、木の間隠れに覗いた三条の滝がことのほか大きかったこと、キツイ登り・・。
・・・・・・・・
四日目、やっと青空が覗く。
が、予定していた燧ケ岳に登る気力も体力もなく、尾瀬沼周回で一日終える。
翌朝、尾瀬ヶ原は一面深い霧に包まれていた。
==メモより==
9月25日
朝霧の尾瀬ヶ原を歩く。
真っ白に霜の降りた木道に足音だけが響く
周囲(まわり)を流れる霧は、音もなく
朝の光の中へ吸い込まれてゆく
振り返れば燧ケ岳
行く手には至仏山
・・・・・・

当時、至仏山は植生保護のため入山禁止になっていた。(と記憶している)
燧ケ岳にも至仏山にも登れず、5日目にして山ノ鼻から鳩待峠に登りついた時、
ここからはこんなに簡単に尾瀬に入れるんや・・と改めて驚いた。
遠い昔の山の想い出。

・・・・・・
その1 〇プロローグ『遥かな尾瀬』
その2(この記事) 〇 『セピア色の尾瀬』・・・昔のアルバムから
9月19日(土) 自宅出発=尾瀬戸倉 鳩待峠駐車場
その3 9月20日(日) 鳩待峠―山ノ鼻―東電小屋―見晴(下田代十字路)テント―三条の滝ピストン
その4 9月21日(月) 見晴―沼尻―(ナデッ窪)―燧ケ岳―(長英新道)―長蔵小屋―見晴テント
その5 9月22日(火) 見晴―山ノ鼻―至仏山―鳩待峠
9月23日(水) 赤城山

夜行で新潟から奥只見湖を船で渡り、一日がかりで平ヶ岳の登山口の清四郎小屋に。
船以外交通手段がなかったと思うのだけれど、マイカーで手軽に登山口の今とは今昔の感がある。
翌日は雨の中、ずぶ濡れになりながら気の遠くなるような長い長い尾根を平ヶ岳へピストン。
==アルバムメモより==
9月22日(平ヶ岳にて)
雨にどんより沈む山々の中で、燧ケ岳そこだけ太陽の光が当たり
明るく立体的に浮かび上がっていた。
・・・・・・・
「山渓」の特集だったかで初めて知った平ヶ岳。
見開きの写真に山頂部に広がる広大な湿原が秋色に染まり夢のような景色だった。
が、やっとのことで辿り着いた憧れの山頂は雨の中。
重苦しい雲が垂れ込め、何もかもがどんよりと灰色に沈んでいた。
==メモより==
清四郎小屋に戻ると 日はとっぷり暮れていた。
小屋のおばさんの天麩羅の差し入れ、非常に美味なり。
夜、千葉のおじさん2人テントに遊びに来る。ささやかなティータイム。
明日の尾瀬行と、今日の長い平ヶ岳を想い、小沢平(こぞうだいら)の夜は更けゆく。
・・・・・・・
「雷が鳴ってたから心配してたのよ」
帰りの遅い二人を今か今かと心配して待ってくれていたらしい清四郎小屋のおばさん。
大皿に盛られた揚げたての天麩羅が涙が出るほど美味しかった。
三日目、やっぱり雨。三条の滝を経て尾瀬へ。
==メモより==
9月23日
またしても雨に祟られた一日。
尾瀬は思いの外遠かった。ザックの何と重かったことか。
真っ暗になってから尾瀬下田代十字路着。
土砂降りの中、テントを設営する。
・・・・・・・・・
怒ったように?黙々とテントを張る友人。
なんで小屋に泊まれへんの・・。
温かい小屋に入りたい。乾いた布団にくるまれぐっすり眠りたい・・・。
でも言えなかった。
そんなこと口に出そうものなら「軟弱もの~」とどやしつけられそうなくらい友の仕草はきびきびと鬼気迫るものがあった。
(当時よく使った『軟弱』なんて言葉。若かったのね~青かったのね~・・(^◇^;)・・)
「え!?〇〇さん(私のこと)も同じこと思ってたの?」
あの時、彼女も同じ思いだったこと。
黙々と動き続ける私に小屋泊まりを言いだせなかったこと。
二人とも同じ思いだったのに、泣きそうになりながらずぶ濡れの身体を湿ったシュラフに潜り込ませた雨の夜。
そんなことが分かって大笑いしたのは、何十年も後になってのことだった。
ちなみに、この日の写真は一枚もない。
雨の降りしきる中、木の間隠れに覗いた三条の滝がことのほか大きかったこと、キツイ登り・・。
・・・・・・・・
四日目、やっと青空が覗く。
が、予定していた燧ケ岳に登る気力も体力もなく、尾瀬沼周回で一日終える。

翌朝、尾瀬ヶ原は一面深い霧に包まれていた。
==メモより==
9月25日
朝霧の尾瀬ヶ原を歩く。
真っ白に霜の降りた木道に足音だけが響く
周囲(まわり)を流れる霧は、音もなく
朝の光の中へ吸い込まれてゆく
振り返れば燧ケ岳
行く手には至仏山
・・・・・・


当時、至仏山は植生保護のため入山禁止になっていた。(と記憶している)
燧ケ岳にも至仏山にも登れず、5日目にして山ノ鼻から鳩待峠に登りついた時、
ここからはこんなに簡単に尾瀬に入れるんや・・と改めて驚いた。
遠い昔の山の想い出。

・・・・・・
その1 〇プロローグ『遥かな尾瀬』
その2(この記事) 〇 『セピア色の尾瀬』・・・昔のアルバムから
9月19日(土) 自宅出発=尾瀬戸倉 鳩待峠駐車場
その3 9月20日(日) 鳩待峠―山ノ鼻―東電小屋―見晴(下田代十字路)テント―三条の滝ピストン
その4 9月21日(月) 見晴―沼尻―(ナデッ窪)―燧ケ岳―(長英新道)―長蔵小屋―見晴テント
その5 9月22日(火) 見晴―山ノ鼻―至仏山―鳩待峠
9月23日(水) 赤城山
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